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仙台地方裁判所 平成2年(ワ)819号 判決 1998年1月20日

主文

一  被告は、原告らに対し、各自、金六六〇万円宛及び右各金員のうち六〇〇万円宛に対する平成元年八月二九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  争いのない事実

請求原因1(当事者)の事実、同2(診療契約)の事実、同3(手術及び術後の経過)の(一)及び(二)の事実並びに(三)のうち花子に吐き気及び下痢などの症状が断続的に生じていた事実、同4(花子の死亡とその原因)の(一)の事実及び(二)のうち花子の死因が処置困難な下痢に伴う電解質アンバランス(低ナトリウム)と急性大腸炎によるエンドトキシンショックであった事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  本件の臨床経過(以下、月日は、前同様、すべて平成元年である。)

右争いのない事実に《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  花子は、四月一四日、本件病院の内科を受診した際、食後に胃が重い等の症状を訴え、その後、胃のレントゲン検査、胃の内視鏡検査を受けたところ、二箇所の陥凹性の病変が認められ、病理組織検査の結果、胃の早期癌であると診断され、五月一八日、本件病院の内科に入院した。その後、花子は、六月二三日、本件病院の外科に転科し、当時の外科部長の日下及び当時の外科主任医長の柿坂が、花子の主治医となり、七月五日、所属リンパ節郭清術を伴う胃全部摘出術、食道・空腸端側吻合術等の手術が行われた。右手術は順調に行われ、胃管を経鼻的に吻合部を越えて空腸に挿入留置し、ドレーンを腹腔内に挿入して閉腹した。

2  花子は、手術後の感染症を防止するため、七月五日から同月一二日までの間、午前と午後の一日二回、ペニシリン系抗生剤であるチカルペニン各二グラムの投与を受けたほか、同月五日から同月一〇日までの間、午前と午後の一日二回、アミノグリコシド系抗生剤であるイセパシン各二〇〇ミリグラムの投与を受けた。この間の同月九日と一〇日に排ガスをみたので、経鼻胃管が抜去され、また、同月一一日には自発的に排尿可能と判断されたため、膀胱内留置カテーテルが抜去されるなど、花子は、手術後、ほぼ順調な回復を示していたが、同月一三日の朝、番茶を摂取したところ、腹部の創部に淡緑色の浸出が認められたことから、食道及び空腸吻合部の縫合不全が疑われ、水分の経口摂取が禁じられ、当分の間、中心整脈栄養を受けることになった。また、同日、腹腔内の吸引液から、ベーター溶連菌が検出され、抗生剤の感受性試験の結果、セフェム系抗生剤であるスルペラゾンに感受性があったことから、チカルペニンに代えて、同日から同月二〇日までの間は八時間おきに一日三回、同月二一日から八月二日までの間は午前と午後の一日二回(ただし、七月二六日は午前の一回)、スルペラゾン各二グラムの投与がそれぞれ行われた。

3  七月一七日、食道と空腸の吻合部の縫合不全の有無を調べるため、造影剤であるガストログラフィン二五ミリリットルを経鼻的に食道に注入して、造影検査が実施されたところ、造影剤の一部が腹腔内に漏出し、縫合不全の存在が認められたが、造影剤が吻合部を通過して小腸側に流れていたことから、吻合部の通過障害はないと判断された。同月二四日、食道と空腸の吻合部の縫合不全箇所の経過、膿瘍腔の大きさを確認する目的で、ガストログラフィン三〇ミリリットルを同様の方法で食道に注入して、二回目の造影検査が実施されたところ、同月一七日の検査と同様、縫合不全の存在が認められたものの、膿瘍腔の大きさは小さくなっていた。また、八月一日には、ガストログラフィン三〇ミリリットルを装用の方法で食道に注入するとともに、造影剤であるウログラフィン二〇ミリリットルを皮膚瘻から瘻孔内に入れ、三回目の造影検査が実施された結果、瘻孔の部分は五ミリメートルくらいであり、膿の排液状態も良好であった。その後、同月一〇日、ガストログラフィン五〇ミリリットルを経口投与して、四回目の造影検査が実施されたが、その結果は、膿瘍腔は縮小し、造影剤は食道から小腸に速やかに移行しており、吻合部の通過障害は認められなかった。

4  花子は、七月五日の手術後から同月二二日までの間、便通がなかったが、同月二三日、排便誘発剤を投与されたところ、同日、白い粘膜様の便が二回あった。同月二四日から八月一五日までの間の花子の便通の回数及び状況は、概ね次のとおりであるが、花子は、八月一日頃から、疲労感や全身倦怠感を訴えるようになり、また、同月四日頃からは右腹部痛を、更に、同月八日頃からは吐き気も訴えるようになった。

七月二四日 一回

同月二五日 二回

同月二六日 一回

同月二七日 一回

同月二八日 なし

同月二九日 不明

同月三〇日 なし

同月三一日 不明

八月一日 一回

同月二日 二回

同月三日 四回、水様性下痢、血液の混入なし

同月四日 なし

同月五日 なし

同月六日 五回、暗茶色の水様便、尿の度に便を排泄

同月七日 数回、泥状便、尿と便を同時に排泄

同月八日 四回、尿と便を同時に排泄

同月九日 四回、水様性下痢便が続く

同月一〇日 七回、泥状下痢便

同月一一日 三回、下痢便

同月一二日 一回、水様便

同月一三日 一回

同月一四日 二回、軟便

同月一五日 一回

5  担当医師らは、前記四回目の造影検査の結果を踏まえて、八月一三日から水分の経口摂取を許可し、花子は、紅茶やみそ汁を口にするようになったが、摂取後の吐き気が強く、嘔吐するような状態であった。その後、同月一六日、粥食等の摂取が許可されたため、同日の朝から、重湯や果物、粥などを摂取するようになったが、これらの水分及び食物の経口摂取後、吐き気を訴えるようになったため、吻合部の狭窄又は腸の癒着による通過障害が疑われた。そこで、同月一六日、この点を検査するため、ガストログラフィン三〇ミリリットルを経口投与して、五回目の造影検査が実施されたが、右通過障害は認められなかった。

6  花子は、同月一六日の夜から、茶褐色の水様性下痢便が続くようになり、同月一七日には八回、同月一八日には七回の下痢便があり、同月一九日の早朝には便の失禁もみられるようになったほか、吐き気や嘔吐もあり、全身の倦怠感も訴えていた。そのため、柿坂医師は、同日の午前、止痢剤であるフェロベリンを投与するとともに、吐き気止めとしてナウゼリンを投与したところ、下痢は一旦落ち着いたものの、同日深夜から同月二〇日の早朝にかけて一二回の下痢があり、同月二〇日には紙おむつを使用する状態となった。柿坂医師は、同月一八日頃までは、右下痢の原因は、同月一六日のガストログラフィンの影響によるものではないかと考えていたものの、それ以前の造影検査後の下痢は二、三日で治まっていたのに対し、今回の下痢は一九日になっても一向に治まる気配がなかったことから、原因を疑問に思ったものの、とりあえず下痢を止めることが先決問題であると考え、フェロベリンを投与したものである。

7  しかし、その後も花子の下痢は止まらず、同月二一日には、黄色の水様便を失禁するようになり、その回数は一一回に及んだ。花子は、同日、柿坂医師に対し、下腹部に不快感を訴え、その診察時に大腸が触知される状態になったことから、同医師は、この時点で、花子の下痢の原因は大腸炎であると認識するとともに、右下痢の原因は腸の蠕動昂進にあると考え、その蠕動昂進を押さえるため、鎮痙剤であるブスコパンを投与し、飲食物の経口摂取を禁じた。翌二二日になり、花子に代謝性アシドーシスがみられたため、柿坂医師は、本件病院の内科の鈴木医師と相談の上、同日から、麻薬であり強力な下痢の止痢剤であるアヘンチンキの投与を開始し、右投与は同月二四日まで続けられた。また、花子は、同月二一日から、血清電解質のナトリウム値の低下がみられたため、中心静脈栄養に一〇パーセントのナトリウム液を加えることにした。なお、同月二二日、花子の便の細菌培養を行った結果、大腸菌と緑膿菌が検出されたが、担当医師らが、それ以上に大腸炎の原因を客観的に突き止めるため、便の嫌気性培養によってCD菌の検出確認を行なうとか、大腸の内視鏡による検査等を行なうことはなかった。

8  前記アヘンチンキの投与にもかかわらず、同月二三日も下痢は八回続き、また、同日から左下腹部痛が出現し、倦怠感も著名であり、血清電解質の低ナトリウム状態も依然改善されないままであった。同月二四日も水様性の下痢が一五回あったため、担当医師らは、電解質のバランスと脱水及び低蛋白血症を改善する目的で、それまで行っていた中心静脈栄養に加え、末梢血管からの電解質輸液を同時に開始し、輸液量の増加、電解質の補正等を図った。また、花子は、同月二三日頃から発熱があり、腹痛も出現していたため、同月二四日から、抗生剤であるホスミシンの静注及び同月二四日からはそれに加えてイセパシンの筋注が開始されるとともに、感染防止のため、ガンマーグロブリンも併用静注された。しかし、その後も花子の状態は改善せず、同月二五日からは、発熱に加え、血圧の低下や呼吸数の増加など全身状態が悪化していき、腹部膨満感や左下腹部の庄痛もあり、さらに、幻視も出現した。同月二六日にも同様の全身状態の不良が続いたほか、排便中に凝血塊があり、便は黒色調の水様便となり、排便の回数は九回であった。血清電解質中の低ナトリウム血症もほとんど改善されなかった。同月二七日になると、脈拍、呼吸数がさらに増加するとともに、体温も三八度台となり、腹部膨満と腹痛を訴え、便は前日と同様の状態で、排便の回数もほぼ同じであった。同月二七日の深夜から同月二八日にかけ、体温は三九度台に上昇し、呼吸数は多く、浅く、頻脈となり、同日午前八時二〇分には努力呼吸となり、血液ガス分析では高度のアシドーシスがみられ、腎機能障害も出現し、同日午前一一時一〇分、花子は、突然呼吸停止を来たし、同日午前一一時三〇分死亡した。

9  同日、東北大学医学部附属病院病理部において、手塚文明助教授(当時)らによる花子の病理解剖が行われた。これによれば、花子の死因は、頑固な下痢に伴う電解質のアンバランス(ナトリウムの低下)そして急性大腸炎によるエンドトキシンショックであるとされた。これは、具体的には、腸内の粘膜層の壊死による欠損部分から、体内の水分が腸管に流出した結果、ナトリウムの低下や電解質のアンバランスが引き起こされ、また、粘膜の壊死層に露出した血管から腸管内の細菌が侵入し、エンドトキシン(細菌が出す毒素)が血中に入って、ショックをもたらしたという趣旨である。また、大腸炎の形態像としては、大腸のほぼ全長にわたって点状ないし班状の糜爛が多発しており、その中に小規模な偽膜に類するものが点在し、偽膜の構成物質の一つであるフィブリンの存在が認められたものの、明らかな偽膜形成は認められず、病理組織学的に、これらの病変は、粘膜固有層に限局した小規模な壊死層が多発したものとみられたこと、また、一部に出血を伴っており、粘膜レベルでの微小循環障害に伴う虚血によって発生した可能性が示唆されたことなどから、虚血性大腸炎と診断された。右手塚は、このような虚血性の変化をもたらした原因についても検討し、それが、ガストログラフィンの使用、あるいは、抗生物質の投与による影響ではないかと考えたものの、ガストログラフィンについては、通常量の使用で粘膜壊死を伴う大腸炎を引き起こすことはほとんどないとされていること、また、一般に抗生物質が大腸炎を引き起こすことはよく知られているものの、大腸炎の発症を八月一六日以降とすれば、発症と抗生物質の投与期間との間にかなり長いインターバルがあることなどからして、必ずしもその原因を特定することはできないとして、右原因を特定しないまま、その形態像からみて、花子の大腸炎を虚血性大腸炎と診断したものである。

三  債務不履行の成否

1  花子の死亡原因と大腸炎の発症時期、その種別等

(一)  花子の死亡原因

前記のとおり、花子の直接の死因は、比較的小さな虚血性壊死層が広い範囲の粘膜に多発し、粘膜の欠損した部分から、体内の水分、ナトリウム等の電解質が腸管の中に流れ出した結果、体液の喪失、電解質のアンバランスを引き起こし、また、粘膜の壊死層に露出した血管から、腸管内の細菌が進入し、エンドトキシン(細菌の出す毒素)が血中に入り、ショックをもたらしたものであるが、これらの原因が、花子の罹患していた大腸炎にあったことは明らかである。

(二)  大腸炎発症の時期

消化管の造影剤であるガストログラフィン、ウログラフィン等に含まれるアミドトリド酸ナトリウムメグルミンは、高張であるため、腸管壁から内腔への水分移動を促し、下痢を引き起こしやすいが、造影剤によって引き起こされる下痢の症状は一過性のものである。

花子は、前記のとおり、五回にわたって造影剤の投与を受けているところ、八月一日から三日までの間の下痢は、同月一日の造影剤の投与による影響であり、同月一〇日から一二日までの間の下痢は、同月一〇日の造影剤の投与による影響であるとみる余地が大きい。同月六日から九日までの間の下痢については、同月四日及び五日に下痢がなかったことから考えて、同月一日の造影剤の投与による影響であるとは考えにくく、前記認定のように、八月一日以降、花子が倦怠感や右腹部痛を訴えていたことなどをも考慮すれば、この段階で大腸炎が発症していた可能性も否定できないが、その原因を明らかにする検査がなされていない上に、同月一三日から一五日までの間、下痢が小康状態となったことからすれば、右下痢の原因が大腸炎であったとは必ずしも断定しがたい。なお、鑑定の結果においても、花子の八月一日から一五日までの期間における下痢の回数は〇ないし七回である以上、それが増悪傾向を示したともいえないことなどからすれば、右期間の下痢はガストログラフィンによる消化管造影に関連していると思われ、糞便の検査や大腸内視鏡検査でもされていればともかく、そうでない以上、この段階で急性大腸炎の発症を疑うのは困難であるとされている。

したがって、花子の大腸炎の発症時期が、同月一五日以前であったと認めることはできない。

同日一六日以降の下痢については、同月一六日に造影剤の投与が行われていることからして、その影響である可能性も否定することはできないものの、造影剤の投与による影響は一過性のものにとどまり、そのため、それまでの四回の造影剤の投与による影響と思われる下痢は、いずれも三日ほどで治まっていたのに対し、同月一九日からは、下痢の回数がそれまでになく多くなるとともに、便の失禁が見られるようになる等、下痢の悪化が顕著になっていることから考えると、遅くとも同月一九日以降の下痢については、同月一六日の造影剤の投与の影響によるものではないということができる。そして、その下痢が死亡時まで継続していることからすると、同月一九日以降の下痢は、花子の死亡の原因となった大腸炎の発症によるものと認めるのが相当であり、花子の大腸炎の発症の時期は、遅くとも同日頃であったと認められる。

(三)  大腸炎の種別・要因

(1) 前記のとおり、花子の大腸炎は、比較的小さな虚血性壊死層が広い範囲の粘膜に多発するものであったことからすれば、考えられる大腸炎の種類としては、感染性腸炎、虚血性腸炎、薬剤性腸炎がある。

(2) 感染性腸炎とは、腸管内の細菌によって引き起こされる腸炎であって、病原性大腸菌、食中毒菌等によるものであるが、花子の場合、病原性大腸菌、食中毒菌等に感染する機会はなかったといえるから、花子の大腸炎がこの要因によるものであったということはできない。また、感染性腸炎の中には、MRSAによる腸炎もあるが、右腸炎は、手術後早期に発生すること、好発部位が小腸であることから考えて、花子の大腸炎がこの要因によるものであったということはできない。

(3) 虚血性腸炎とは、腸管壁が虚血によって壊死に陥る病変であり、虚血性大腸炎の名称は、腸管壁が虚血によって壊死に陥る病変を総称するものであって、必ずしも虚血の要因を特定するものではないが、主に脈管側の要因によるものと、腸管側の要因によるものとがある。前者は、心疾患、血液疾患に基づく血栓、糖尿病などに基づく動脈硬化、心不全などに基づく循環不全等によるものであり、後者は、腸管内庄の上昇、腸管細菌叢の変化等によるものであるとされる。その初期症状は、突然の腹痛、下血、下痢が三大症状であり、発生部位は左側結腸に多いとされ、腹膜炎の発症にいたらない限り、保存的な治療を行うことによって予後は良好であるとされる。花子の場合、大腸炎の発症時期は前記のとおり八月一九日頃であるところ、同月二六日に水様便の色が黒っぽくなるまでの間、水様便の色は黄色であり、下血がなかったと認められること、腹部痛は、同月二一日頃から現れ次第に顕著になっていったこと、病理解剖の結果、虚血性壊死層が、左側結腸に限らず大腸全体の広い範囲に多発していたこと、腹膜炎に至らなかったにもかかわらず死亡していること等から考えると、一般的に虚血性大腸炎と呼ばれている疾患とは病態が異なるものと考えられる。

(4) 薬剤性腸炎の大部分は、抗生剤の投与に起因するもので、突然の腹痛及び血性下痢を主症状として急性発症する出血性大腸炎と、下痢、腹部鈍痛等を主症状として比較的緩徐に発症する偽膜性大腸炎とに二分される。

出血性大腸炎は、病変部に点状ないし班状の出血やビランを伴い、内視鏡的に虚血性大腸炎と厳密に区別することは困難な場合があり、その場合、虚血性大腸炎との区別は抗生剤使用の有無によらざるを得ないとされる。出血性大腸炎は、抗生剤の投与を中止すれば速やかに回復し、予後は極めて良好とされる。また、CD菌及びその産出する毒素であるトキシンの検出頻度は低いとされるが、その発生機序は必ずしも明らかではない。花子の場合、前記のとおり、突然の腹痛及び血性下痢を主症状として急性に発症したものではないこと、抗生剤の投与中止後に発症して死亡という結果に結びついていることから考えて、出血性大腸炎であったと認めることは困難である。

偽膜性大腸炎は、黄白色で隆起性の偽膜を生じさせることが多く、頻回の下痢のため強度の脱水、低蛋白血症、電解質の異常等をきたして、適切な治療がなされない場合には、死亡に至ることもまれではないとされ、また、出血(下血)はないか軽度であるか、下痢状態が強く難治性であり、時として重篤な状態となることがある。偽膜とは、大腸の粘膜に壊死が起こり、そこに血液の中の成分であるフィブリンが析出し、これに脱落した粘液細胞が付着すること等によって、厚い膜をかぶせたような状態になるものであり、これが隣接して多発したり、隣接部へ波及していくことによって、広い偽膜となったものが、典型的な偽膜の形態とされる。偽膜性大腸炎の発生機序は、抗生剤の投与により、腸内細胞叢が撹乱されて変化し、CD菌が異常に増殖して、エンテロトキシンやサイトトキシンという毒素を産生し、腸管の粘膜に障害を与えるものと一般に考えられている。

前記認定のような花子の諸症状、ことに出血(下血)はほとんどなかったが、下痢状態が強く、アヘンチンキを投与してもそれが止まらないなど難治性のものであったこと、また、花子が大腸炎発症前に投与を受けていたペニシリン系抗生剤であるチカルペニン、セフェム系抗生剤であるスルぺラゾンは、いずれも偽膜性大腸炎を発生させる副作用が認められているものであること、さらに、花子の病理解剖の結果によれば、前記認定のとおり、典型的な偽膜の形成は認められなかったものの、大腸のほぼ全長にわたって点状ないし班状の糜爛が多発しており、その中に小規模な偽膜に類するものが点在し、偽膜の構成物質であるフィブリンの存在が認められたこと、薬剤性大腸炎においても腸管の粘膜において局所的な血流の低下をきたす場合もあることなどを総合して考えると、花子の大腸炎は、抗生剤の投与に起因する偽膜性大腸炎であった蓋然性が高い。なお、鑑定の結果は、花子につき唯一考えられる可能性のあるのは偽膜性大腸炎であることを認めながらも、花子の場合、抗生剤の投与が八月二日で中止されており、下痢が著明となった同月一六日との間に一四日の期間があることを疑問点としているが、偽膜性腸炎の発症例のうち三一パーセントが抗生剤の投与中止後に発症しており、投与中止後から発症までの期間は一三ないし三〇日であり、平均二〇・六日であったとの臨床報告があること、抗生剤の投与中止後一か月以内に発生した場合には、一般に偽膜性大腸炎の可能性を否定することはできないとされていることなどからすれば、花子の大腸炎の発症時期を右鑑定結果のように八月一六日とみるにせよ、前記認定のように同月一九日とみるにせよ、抗生剤の投与中止と大腸炎の発症との間に一定の期間がある点も、花子の大腸炎が偽膜性大腸炎であると認めることの妨げとなるものではない。また、甲四一の足立憲昭作成の鑑定意見書中には、手塚文明作成の診断書中に、はっきりした偽膜形成の記載がないことから、花子について、偽膜性大腸炎に相当する疾患の存在は否定的であるとしているが、花子の病理解剖の結果によれば、典型的な偽膜の形成は認められなかったものの、その中に小規模な偽膜に類するものが点在していたことが認められ、偽膜の構成物質であるフィブリンの存在が認められたことは前記認定のとおりであり、右鑑定意見書のこの点に関する見解は採用し難い。

したがって、花子の大腸炎は、証拠上、偽膜性大腸炎であると認めるほかない。

2  担当医師らの過失

前記のとおり、遅くとも八月一九日には、花子の下痢はガストログラフィンの影響によるものではないことがその症状から明らかになってきたのであるから、担当医師らは、同日には、花子の大腸炎の発症に気付くことが可能であったということができる。また、胃等の消化器外科の手術後あるいは悪性腫瘍等の重篤な基礎疾患を有する者に抗生剤を投与した場合、投与中止後でも、偽膜性大腸炎が発生する可能性のあることは一般に指摘されているところ、花子について、感染性大腸炎などに罹患していることを疑うべき事情も見当たらなかったことなどからすれば、担当医師らとしては、同日以降、花子の大腸炎が偽膜性大腸炎である可能性を念頭に置きながら、その診断、治療を進めるべきであったといわなければならない。

これを具体的に言えぱ、花子の疾患が偽膜性大腸炎か、それ以外の大腸炎であるかによって、とるべき治療方法が大きく変わってくるのであるから、まずは、花子の疾患が偽膜性大腸炎か否かの確定診断をすべきであったと考えられる。そのためには、大腸内視鏡検査の施行を考慮するほか、糞便の細菌培養検査を施行すること、特にCD菌に注目した嫌気性培養の検査及びCD菌の毒素についての検査を施行すべきであった。なお、花子のように、全身状態の衰弱した患者について大腸内視鏡検査を施行する場合には、下剤などの前処置を行わずに内視鏡検査を施行し、その観察範囲も、無理のない範囲で、例えば、S状結腸のみでも観察することが可能であると考えられる。

前記のように、花子の大腸炎は、偽膜性大腸炎であった蓋然性が高いのであるから、本件で右のような検査のいずれかがなされていれば、担当医師らは、花子が偽膜性大腸炎であるとの確定診断を得ることができ、その時点から、それに応じた治療を施すことが可能であったと考えられる。

また、仮に担当医師らが花子の大腸炎の発症に気付くことができたのが同月二一日頃であり、かつ、当初は、偽膜性大腸炎の可能性に気付かなかったこともやむを得なかったとしても、同月二三日頃には、強力な止痢剤であるアヘンチンキを投与しても花子の下痢症状が止まらないことが明らかとなっていたのであるから、遅くともこの時点においては、花子の大腸炎が、止痢剤の投与が効を奏せず、逆に症状を悪化させる偽膜性大腸炎である可能性を疑い、その確定診断のための検査をすべきであるか、あるいは、その可能性を前提とした治療方法をとるべきであったといわなければならない。

CD菌及びトキシンによる大腸炎には、メトロニダゾールも有効であるほか、CD菌の毒素を吸着するコレスチラミンの投与も考えられるが、バンコマイシンの投与が特効的作用を有するとされており、その投与後、一日ないし二日で下痢は軽快し、七日ないし一四日でほとんどの症例が治癒し、また、重症例でも二〇日間前後で治癒するとされていることからすると、偽膜性大腸炎に対する治療方法としては、バンコマイシンの投与が最も有効な方法であったと考えられる。そして、右のようなバンコマイシンの薬効からすれば、花子が偽膜性大腸炎であるとの確定診断がつき次第、あるいは、その確定診断がつかなくても、その可能性が認識された時点で、担当医師らが、速やかに止痢剤等の投与を中止し、バンコマイシンを投与していれば、その投与開始時期が八月一九日頃であればもちろん、たとえ、同月二三日頃であったとしても、その症状が軽快し、死亡に至らなかった蓋然性が高いと考えられる。

しかるに、本件で、担当医師らは、八月二一日頃になって花子の症状が大腸炎ではないかとの疑いを抱くにいたったものの、それが抗生剤の投与に起因する偽膜性大腸炎である可能性を念頭に置くことなく、それ以前も、その後も、全く、その確定診断に必要な検査を行なわず(八月二二日に花子の便の細菌培養を行っているが、これは、CD菌の検出を念頭に置いた嫌気性の培養検査ではない。)、偽膜性大腸炎の治療に必要な処置をとらなかったのみならず、花子の難治性の下痢に対し、その原因を見極めることなく、それを止めるための対症療法に終始し、偽膜性大腸炎の場合、腸管内の毒素の排泄を遅らせて症状を悪化させるおそれのある止痢剤の投与を続けるなどしたものであり、これらが当時の一般的な医学水準によって医師に要求される注意義務に反することは明らかである。

このようにみてくると、担当医師らには、本件で、花子の偽膜性大腸炎を見過ごし、適切な治療を行わなかった過失があるというべきであるし、前述のところからすれば、これら診断の遅れ及び適切な治療を行わなかったことと花子の死亡との間に因果関係があることが認められる。

四  損害額

1  逸失利益

花子は、大正一四年三月三〇日生まれであり、死亡時、六四歳であった。花子の夫は、昭和六一年に死亡したところ、花子は、子である原告らと同居せず、一人暮らしをしていた。花子が就業していたか、就業の意思を有していたと認めるに足りる証拠はない。さらに、花子は、癌により、胃の全部摘出手術を受けたものであり、早期癌であり、リンパ節への転移は認められなかったとはいえ、必ずしも一般の平均寿命を基準にして、その就労可能年数を算定することはできないと考えられる。

これらの事情からすれば、本件で、花子の逸失利益の額を的確に算定することは困難であるので、この点は、後記慰謝料の算定に当たり、斟酌することとし、逸失利益としては認定しない。

2  慰謝料

本件に現れた一切の事情及び前記1の点を考慮すれば、花子の死亡による慰謝料の額は一七〇〇万円とするのが相当である。

3  葬儀費用

花子の死亡による葬儀費用の額は一〇〇万円とするのが相当である。

4  弁護士費用

本件債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用の額は一八〇万円と評価するのが相当である。

五  結論

以上によれば、被告の債務不履行によって花子の受けた損害額の合計は一九八〇万円となる。原告らがいずれも花子の子であり、その法定相続人であることは当事者間に争いがないので、原告らは、花子の前記四1、2の損害賠償請求権を法定相続分である三分の一にしたがって相続したものと認められるし、弁論の全趣旨によれば、原告らは、同3、4の費用を各三分の一宛負担したものと認められるから、原告らは、被告に対し、各自、六六〇万円の損害賠償請求権を有することになる。

したがって、本訴請求は、原告らが、被告に対し、各自、六六〇万円宛及び右金員のうち各自の弁護士費用六〇万円宛を控除した残額である六〇〇万円宛に対する花子の死亡の翌日である平成元年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を請求する限度で理由があるので、主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱宣言は相当でないのでこれを付さない。

(口頭弁論終結の日 平成九年九月二日)

(裁判長裁判官 及川憲夫 裁判官 細田啓介 裁判官 石川重弘)

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